蚕糸・絹業提携グループ 全国連絡協議会

”B” 景/Background 自然と人の共生である養蚕

昨年度、一般財団法人大日本蚕糸会とともに、蚕糸・絹業提携グループ全国連絡協議会は、日本における絹の歴史や文化を紹介するために、ブランドブック「26の物語で紡ぐ日本の絹」を作成しました。
takaraginu.comではWEB公開企画として、追加取材で作成した記事ととも、AからZまでのアルファベット順に更新していきます。

”B” 景/Background
自然と人の共生である養蚕

里山に残る桑畑を探して

「桑の木とはどんな木でしょう?」と言われて、すぐに思い出せない人もいるかもしれません。ですが桑畑はほんの少し前までどこにでも見られる日本の里山の風景でした。

地図記号には単体で「桑畑」、古代の甲骨文字にも「桑」と表され、誰もが知っている童謡「赤とんぼ」で小籠に摘んだのは桑の実です。このように日本人にとって馴染み深い桑は、「蚕」の餌として重要な植物でもあります。

明治以降、近代化を進める日本にとって大事な輸出産業であった製糸業を支えるには、たくさんの養蚕農家が必要であり、桑畑も必要だったのです。

養蚕業がもたらしたもの

蚕は病気に弱く、世話をしてもらわなければ生きていけません。養蚕家は良い繭、良い糸を取るために、朝も夜も桑の葉を採り、運び、食べさせる作業を続けてきました。

現在、負担を減らすため人工飼料も併用されていますが、それでも桑の葉は欠かせない飼料です。桑は生育が早く、日本中に分布していたので、もともと稲作に不向きな土地でも養蚕は広まっていきました。

群馬県では養蚕により、女性の経済力があがり上州の「かかあ天下」という言葉が生まれたとか。それだけ土地に住む人々に影響のある産業であったということです。

現在では農業人口の減少や、化学繊維の発達もあり、残念ながら養蚕農家は激減し、それと同時に桑畑も減少していっています。(最盛期の1%以下)

人々の心に残る文化としての養蚕

様々な伝承が各地に残るなど、蚕は他の家畜とは全然扱いが違います。たとえば茨城県「蚕影神社」では海から来た姫が蚕になった金色姫伝説、また蚕を食い荒らす鼠を退治する猫が「狛猫」となっている京丹後市の「金比羅神社」など、各地の神社に祀られ大切にされています。

養蚕農家は減少していますが、養蚕は産業としての価値と同時に人々の核として生き続け「お蚕さま」を敬う姿勢が文化として残っていることが興味深いです。

[取材協力]
一般財団法人大日本蚕糸会
http://www.silk.or.jp/

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